江戸糸あやつり人形 結城座公演 『ドールズタウン』

スタッフ

作・演出
鄭義信
音楽・作曲
J・A・シーザー
舞台美術
礒沼陽子
人形美術
渡辺数憲
照明
増田隆芳
音響
藤田赤目
衣裳
木場絵理香
舞台監督
吉木均
剣術指導
栗原直樹
鳴物指導
紫竹芳之

キャスト

  • 十二代目結城孫三郎
  • 結城千恵
  • 結城育子
  • 結城数馬
  • 岡泉名
  • 田中友紀
  • 湯本アキ
  • 小貫泰明
  • 特別出演 田中純

祖母の足  鄭義信 (初演プログラムより)

 子どものころ、僕は祖母と二人、韓国人集落に暮らしていた。時代は高度成長期を迎え、父と母が営む屑鉄屋は猫の手を借りたいほど忙しく、僕は祖母に預けられたのだった。
 小高い丘の上にあった韓国人集落からは、白い壁の病院と赤煉瓦の刑務所と灰色の火葬場の煙突が見えた。煙突から吐き出す煙は、風にのって韓国人集落の上にたちこめた。少年の僕はその煙を見つめながら、どこか遠くに行くことを夢に見た。
 夜になると、薄い壁越しに隣の爺さんが酔ってわめく声が聞こえた。
「あれは、なんちゅうとるの?」
爺さんの言葉は、僕には聞き取れなかった。
「自分で、自分を呪うとるんや」
祖母は吐き捨てるように、そう言った。
 祖母は十五歳(韓国は数えなので、実際には十四歳)で、写真でしか見たことのなかった夫を尋ねて、日本に渡ってきた。ところが、この夫(つまりは、僕の祖父)がろくでもない男で、日本人のお妾さんをこしらえるは、まるきり働きもしないは、そのくせ金をせびりに来るは…祖母は四人の娘を食わせるために、煉瓦工場で必死に働いた。一方、放蕩のかぎりを尽くした祖父は癌であっけなく逝ってしまった。それからまた祖母の苦労は続き、結局、一度も祖国に帰ることはなかった。
 布団の中で、祖母は毎晩同じ故郷の話をした。
「帰りたいんか」と、僕が聞くと、「帰ったかて、誰もおらん、誰も…」と、祖母はかなしそうに呟くのだ…。
祖母は骨になって、ようやっと祖国の土を踏むことができた。祖母が日本に渡ってきてから亡くなるまでの約半世紀は、まさに戦前戦後に渡る貴重な在日韓国人の歴史であるはずだ。もしかしたら、時代の証言者となりえたかもしれない。けれど、いかんせん日本語は片言、韓国語はひどい訛りで、孫の僕でさえ、なにを話しているのかさっぱりわからなかった。
 祖母が亡くなった後、それでも、いろいろ聞いておけばよかったと、ひどく悔やんだ。
 寒い夜、時々、祖母の足を思い出す。祖母は僕の足と自分の足を重ねて、温めてくれたものだった。その足はがさがさしていて、今思うと、なによりも雄弁に祖母の歴史を語っていたのだ…。
 大義名分(たとえば、戦争)の前では吹けば飛ぶような、しょむない真実、当たりまえの日々、祖母の足のようなささやかな思い出…僕は、それらをこよなく愛しているのだ。